高校1年生の春、両親が離婚「今日からここに住みます」

アダルトチルドレン

私が小学5年生の頃から、両親の喧嘩が増え始めた。
ギャンブルや不倫、日常的な怒鳴りあい、張りつめた家の中の空気。
長い年月をかけて、家庭環境は私の心身を破壊していった。

大人の事情はわからなかったが「おい!お前たちはどっちについていく!」と怒鳴る父と、「あんたたちの為に(離婚しないで)いるのよ!」と言い放った母に、「お願いだから離婚してほしい」
と言ったことがある。
中学3年生の時だ、もう限界だった。

そして私が高校1年生になった春、ある日の朝。
登校する直前に、玄関で母に呼び止められた。
「(私の友達の)〇〇ちゃんの家知ってるよね?今日学校が終わったらそこに来て」と。

なにか用事でもあるんだと思いながら登校し、1日の授業を終えて下校。
言われたとおりその足で〇〇ちゃんの家に向かった。

到着すると何だか様子が変だった。
〇〇ちゃんやそのお母さんの姿はない。
そしてその家の中には、見覚えのある家具や私の学習机も置かれていた。

「今日からここに住みます」母からの一言。両親が離婚した。
自分がどんな反応をしたのか覚えていない。

突然暮らすことになった古い平屋の一軒家は借家だった。
以前住んでいた〇〇ちゃんは、新築の家に家族で引っ越していたのだ。
母親同士の話し合いで、タイミングよく空いたその借家を借りたのだった。

幸い、私・妹・弟は離れることなく、子供3人は母と暮らすことになった。
両親の離婚を悲しんだ記憶はない。
日常的な怒鳴り合いや、あの張りつめた冷たい空気から解放されたのだ。
むしろ安堵の気持ちのほうが大きかった。
こうして母と子、4人での新しい生活がスタートしたのだった。

私が大人になってから、この突然の引っ越しにまつわる話を母から聞いたことがある。
ずっと家族の心配をしてくれていた祖父はもういなかったが、私たち孫を近くで見守りながら元気に働く祖母がいた。

祖母は勤め先の慰安旅行で、沖縄に2泊3日で出かけていた。
私たち3人の孫を喜ばせようと、きっとたくさんのお土産を抱えて帰ってきたはずだ。

そんな祖母の不在中に、あの突然の引っ越しが決行されていたのだ。
あまりにも残酷な話だ。楽しい旅行から帰った家には息子(私の父)が1人だけ。
祖母の気持ちは計り知れない。
家族崩壊、それは子供に限らず大人にだって心に大きな傷跡を残すだろう。

「親が離婚したせいで」という言葉を耳にすることがある。
でも、そのせいで自分はこんな風になってしまった、とは思わないでほしい。
それでは自分があまりにもかわいそうだ。

自分の人生は自分で変えて行ける。
傷ついた自分を大切にしてあげてほしい。
たくさんの辛い経験を乗り越えたからこそ、人に優しくありたい。
静かに優しく、強い芯をもった人になりたい。私はそう思っている。





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