今から約30年前。
両親が離婚して突然の引越しから、母親と子供3人の生活が始まった。
母親は40歳、私は高校1年生、妹は中学2年生、弟は小学6年生だった。
これで少しは家族らしい生活ができるだろうかと期待に胸を膨らませたが、
その生活は1年経つか経たないかのうちに一変した。
いつの間にか母親の不倫相手だった男が一緒に暮らし始めたのだ。
男は酒浸りだった。安い酒を飲み、薄ぼんやりと腐った目をしていた。
今でも安っぽい酒の臭いが嫌いだ、この時の生活とあの腐った男の目を思い出す。
こんな男のどこがいいのか、母親の気が知れなかった。
もはや母親でもない、男と女。
一番身近にいる大人が、ただの汚い生き物に見えていた。
親代わりのように接してくれていたおばさんからは「自分の身は自分で守りなさい」と言われた。
特に女の子である私と妹、万が一にも性的な暴行を加えられることがあってはならない、
これは絶対にだ‼
私たちが住んだ築40年を超えていたであろう一軒家の借家に、部屋ごとのカギなどなかった。
家では絶対に男と2人きりにならないようにした。
狭い家の中、廊下ですれ違うだけでも気持ちが悪い。
男が入ったお風呂なんて入りたくもない。さっさとシャワーで済ませた。
妹と私は2人だけで1部屋もらっていた。2段ベッド、妹を上で寝かせ、私が下で寝た。
毎日どれくらい睡眠がとれていたのかわからない。
昼夜関係なく気を緩めることはない。
「何としても妹と自分を守らなければ」
「あいつが間違ってでも妹や自分に触れそうになったら、全力でこの世から消してやる!!」
そう思いながら1日1日を過ごしていた。自分の家に安全な場所はない。
弟はまだ小学生で寂しさもあっただろう。母親からしても弟は可愛いかったはずだ。
中学生の妹は優しすぎるほど優しい。自分が我慢してでも他人を思いやる。反抗などしない。
高校生の私はきょうだいで一番年上、家庭内で起こっている状況が少しはわかる年頃だった。
母親とその男に対して反抗する。一番可愛くない子供だ。
私が言い放った言葉で男が機嫌を損ねて家を出ていくと、母親の怒りは私に向けられた。
いつもそうだった。
もう我慢はたくさんだ。我慢して自分を壊したくない。
私は母親とその男に対して、家の中でたくさん暴言を吐いた。
その反面、高校では勉強に励んだ。
「就職して早くこんな親から離れたい」その一心だった。
そんな生活を1年くらいは耐えた。
母親の男は新しい職に就いていた。
弟は中学2年生になり、サッカーで遊んでくれたりする男に馴染んでいた。
だが、私と妹は馴染むはずもなく。
妹が私と同じ高校に進学したのをきっかけに、母方の祖母のところに住まわせてもらうことにした。高校までは電車で2駅ほど近くなった。
部活がない土曜日は、下校も妹と一緒にした。
一緒に電車に乗り、歩いて家に帰る。
妹との時間がたまらなく幸せだった。
祖母のところでは安心して過ごせた。
母親とその男から、逃げる場所があって助かった。
私と妹は、暴力など受けなかったから、今幸せになる事が出来たんだと思う。
私は今、あの頃の母親の年齢を超えている。
難病を抱え、子宮全摘もした私に子供はいない。
それでも子供の頃あんな生活を経験した私から、頑張っているシングルマザーに伝えたい。
子供がいるのなら、男と同居はしないでほしい。
特に女の子がいる場合だ。
今の時代いくらでも連絡は取りあえるし、いつでも会えるだろう。
自分にとっては愛する人(男)、危険性など想像もしないだろう。
でもそのせいで、子供が犠牲になることがある。
何か起きてから「後悔」なんて軽い言葉では済まされない。
これは大切な命に繋がる問題なのだ。
シングルマザーが抱える厳しい経済状況、貧困などもよく耳にする。
仕事をしながら子育てをする。私には想像を絶する大変さだと思う。
もし理解ある相手に出会えたなら、同居でなくとも子供が成人するまで共に見守ってもらいたい。
大人が幸せになる方法ではなく、子供が幸せになる方法を第一に一緒に考えてくれるはずだ。
そんな相手に出会えたなら、母親であるあなたもきっと幸せになれるだろう。
大人にも子供にも、私は幸せになってほしいのだ。
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